ビザンツ=オスマン戦争
:1946年8月〜1947年7月
場所:オスマンイスラム共和国連邦亡命政府エディルネ〜イスタンブール*1
結果:痛み分け
・オスマン側:レスヴォス島?ヒオス島?の割譲
・ギリシア側:占領地からの撤兵
・シリア独立軍:壊滅
交戦勢力
ビザンツ・ギリシア帝国オスマンイスラム共和国連邦亡命政府
シリア独立軍
指揮官
ギリシア2世?
バシレオス・カラマンリス
アレス・サマラス
テリス・パパス
ウロア=パシャ
兵数
ギリシア方面
・侵攻時160,000人(16万人)
・講和時200,000(20万人)
シリア方面
・侵攻時50,000人(5万人)
・講和時60,000人(6万人)
初期
・イスタンブール方面80,000人(8万人)
・アンカラ方面120,000人
講和時
・反抗兵力200,000(20万人)
・アンカラ方面280,000(28万人)
シリア独立軍20,000人(2万人)
損害
ギリシア方面
40,000〜50,000人(4万〜5万人)
シリア方面
20,000人(2万人)
初期40,000人(4万人)
講和時70,000人(7万人)
シリア独立軍18,400人(1万8400人)



概要

ビザンツ・ギリシア帝国オスマンイスラム共和国連邦亡命政府の間で1946年8月から翌年の1947年7月まで行われた戦争。

背景

ギリシア2世?は第二次世界大戦末期に即位するとビザンツ帝国時代の領土を取り戻すべく侵略戦争を始めた。その一環として1941年にシリアに、1944年にアルバニア王国(イタリア領)に侵攻した。そして、1946年にイスタンブール(ギリシア側はビザンティンと呼称)の奪還を目指しオスマンイスラム共和国連邦亡命政府に侵攻した。

経過

1946年
8月:ビザンツ・ギリシア帝国軍が越境。ビザンツ=オスマン戦争が勃発
同月:エディルネでギリシア軍がオスマン軍を撃破
9月:ギリシア軍がボスポラス海峡以西を占領。しかし、ボスポラス海峡の渡河に失敗し膠着状態に
同月:ダータルネス海峡に機雷が設置され渡河が出来ない状態に陥る
1947年
5月:クレタ島に向けてオスマン艦隊が出撃。ギリシア艦隊が迎撃に出てクレタ島沖海戦が発生する。両艦隊の痛み分けで終了するもオスマン軍がテキルダーに強襲上陸。ギリシア軍の裏を取る事に成功する
同月:マルカラで戦闘が発生するも痛み分けで終了。オスマン軍は挟み撃ちを、ギリシア軍はテキルダーから追い出す事に失敗し、ギリシア軍は補給状態が悪くなる
6月:両軍ともに現状の打開を図ろうと戦闘するも上手くいかず停滞。講和に向けて話し合いが始まる
7月;オスマン側が沖合のレスヴォス島とヒオス島をギリシア側に割譲することを条件にギリシア軍は占領地から撤退する。その後、講和条文を締結して終戦
8月:ギリシア軍がシリア独立軍への大規模攻勢を行い殲滅する

影響

ビザンツ・ギリシア帝国側

ビザンツ・ギリシア帝国は最重要目標のイスタンブール(ビザンティン)の奪還に失敗したことで2回敗北したことになる。国名の一つであるビザンティンの奪還失敗は国内で反感を買う事になり、過激なデモが発生する原因となった。また、2回敗北したことでオスマン側への侵攻に消極的になってしまい、現在に至るまで膠着状態となった。更に西トラキアに要塞線を築くきっかけにもなり陸では防衛主体の動きになるきっかけとなった。

オスマンイスラム共和国連邦亡命政府側

ドクトリンの変更
当時のオスマン陸軍の標準的な戦略であるランチェスター 法則に基づいた優位戦略は本戦争の前に無力化されオスマン陸軍はドクトリンの立て直しを迫られることとなった。現在の高価値高速機動ドクトリンはこの戦争の反動で生まれたと言っても過言ではない。
オスマン第一要塞軍管区の設置
オスマン第一要塞軍管区はビザンツ国境からイスタンブールまでを含むオスマン軍の軍管区である。複数の巨大な要塞群から構成されている。この戦争の結果敵軍の衝突力を緩和するために設置されたほか、攻勢拠点としても整備されている。
揚陸部隊の整備
本戦争で行われた揚陸作戦は漁船などを用いたある意味ヤケクソの作戦であり安定性とは程遠いものであった。揚陸作戦の奇襲性などから有用な戦術と見做された結果、揚陸艦などの装備が整備されることとなった。

戦略

ビザンツ・ギリシア帝国側

初期の予定では4段階に分けて侵攻を行う予定であった。

第1段階(青):エディルネを突破し、ボスポラス海峡、ダータルネス海峡を渡河。ビザンティンを確保する。シリア方面からは敵軍の動きを抑えるために無理やりにでも攻撃を行う
第2段階(赤):軍を二つに分け、一方をダータルネス海峡周辺の軍と合流。もう一方を黒海沿岸部の確保に動く
第3段階(緑):ダータルネス海峡方面軍を南下。イズミールの確保に動く。そして黒海沿岸方面軍をアンカラと沿岸部の確保に分けて侵攻。アンカラを陥落乃至包囲する
第4段階(紫):この時点で主要都市は全て陥落乃至包囲状態に出来ているため残存兵の掃討を行う事でオスマン全土を占領する予定であった
また、オスマン側の制海権全てを手に入れることが出来るだけの規模はなかったため、エーゲ海及びイスタンブール以東の一部の制海権を手に入れる予定だった。
しかし、予定は第1段階の時点で崩壊した。ボスポラス海峡の渡河に失敗し、ダータルネス海峡は機雷の影響で渡河が不可能になり、予定通りに動く事が出来なくなった。更に、シリア方面ではかねてより独立を狙っていたシリア独立軍がオスマン側に呼応。支援を受けて独立戦争を開始した。その結果、シリア方面から圧力をかける筈が出来なくなりオスマン軍と正面から戦う結果となった。

オスマンイスラム共和国連邦亡命政府側

当初の防御計画
オスマン軍は当初アクティブディフェンスによって敵兵力をイスタンブール近郊に誘引し半包囲や野戦築城の効果を利用して殲滅するプランを立てていたが主力部隊の自動車化の遅れはアクティブディフェンスそのものの崩壊を招きイスタンブール方面軍の壊滅を引き起こすこととなった。
中盤の持久戦略
オスマン軍はダータルネス海峡及びボスボラス海峡を前線とする防御計画を立案した。更にダータルネス海峡の機雷敷設によってマルマラ海の制海権を維持することに成功した。これにより更なる侵攻を防ぐことに成功した。マルマラ海の保持はオスマン反抗の要となった。
反抗作戦
オスマン軍はテキルダーに漁船などによる人海戦術の揚陸作戦を立案、発動した。この結果イスタンブールのビザンツ軍の補給戦は脅かされ決戦を強要することに成功した。しかしながら重装備の不足などにより決戦は痛み分けとなり停戦へと至った。

クレタ島沖海戦

:1947年5月
場所クレタ島
結果痛み分け。オスマン軍はテキルダーへの強襲上陸の援護に成功
交戦勢力
ビザンツ・ギリシア帝国オスマンイスラム共和国連邦亡命政府
指揮官
テリス・パパス
艦隊
戦艦3隻
空母1隻
重巡3隻
軽巡5隻
駆逐艦等小型艦20数隻
艦首巨砲搭載艦2隻
改造空母1隻
正規空母2隻
巡洋艦4隻
駆逐艦24隻
水雷艇18隻
損害
撃沈
・戦艦1隻
・軽巡1隻
・駆逐艦等小型艦4隻
大破
重巡2隻
駆逐艦等小型艦1隻
中破
戦艦1隻
軽巡1隻
駆逐艦等小型艦2隻
小破
重巡1隻
軽巡1隻
駆逐艦等小型艦5隻
撃沈
・艦首巨砲搭載艦2隻
・巡洋艦1隻
・駆逐艦6隻
大破
・巡洋艦1隻
中破
・正規空母2隻
小破
・巡洋艦2隻
・駆逐艦5隻

概要

ビザンツ・ギリシア帝国領のクレタ島沖で起こった海戦。オスマン海軍がテキルダーへの強襲上陸を悟られないようにするために艦隊をクレタ島に向けて出発させたことで発生した。

背景

この時点でビザンツ・ギリシア帝国とオスマンイスラム共和国連邦亡命政府は8か月に及びにらみ合いが続いていた。戦線は完全に膠着しており幾度か両軍が現状の打開を目指して攻撃をするも有効打には至らず損害を増やす結果となった。そこで、オスマン海軍はテキルダーへの強襲上陸を決行する。しかし、ダータルネス海峡が機雷で封鎖されている為ギリシア艦隊が来る可能性はないものの上陸時に迎撃される可能性を少しでもなくすため、そしてクレタ島と言うビザンツ・ギリシア帝国にとって経済的重要地に攻撃出来れば少なからず経済的ダメージを与えられると考えての事だった。

戦況

ギリシア側の主力である地中海艦隊がクレタ島に到着した時にはオスマン艦隊は既に沖合にまで進出していた。
最初は空母から発艦した航空機同士の戦闘が始まった。ギリシア側は数で劣るも地上からの航空機も援軍で到着したため数では少し劣る程度まで数の差を減らす事に成功した。空で航空機の戦いが行われている中、戦艦を先頭に砲雷撃戦が始まった。火力では劣るオスマン側だが制空権が優勢になるとギリシア側は航空機による攻撃が行われた。その結果、航空機の急降下爆撃で戦艦トロイアに命中。弾薬庫に誘爆し轟沈した。その仇を取るとばかりにペルシャが激しい砲撃を行い正規空母1隻を中破、艦首巨砲搭載艦1隻を撃沈した。しかし、両軍ともに互角の戦いがその後も繰り広げられ僅か1日で両艦隊は大きく損傷した。しかし、この時点でテキルダーへの強襲上陸は成功しておりオスマン側はこれ以上の被害を出さない為に撤退した。
ギリシア側はオスマン艦隊の撤退に勝利を祝うもすぐに強襲上陸の件が伝わり囮と悟り怒りをあらわにしたという。

影響

ビザンツ・ギリシア帝国側
この海戦により目くらましを受けたビザンツ・ギリシア帝国はテキルダーへの強襲上陸を成功させてしまい、講和を行う要因となった。しかし、これ以降ビザンツ・ギリシア帝国では航空機の到来を肌で感じる事になり戦艦の建造が行われなくなり、空母機動艦隊が地中海艦隊に代わり主力へとなっていくことになった。
オスマンイスラム共和国連邦亡命政府側

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