概要

ビザンツ・ギリシア帝国のペロポネソス半島に存在する古代ギリシアの都市。オリンピックの発祥地として知られているが、かつては栄えた都市でも現在は美しい山間にある僅か1000人程度の田舎町でしかなく繁栄の証は遺跡以外では何も残っていない。

歴史

神話によると、事位は古くから聖なる森アルティスの礼拝地として知られていた。その後、現在のクロノスの丘辺りにゼウス神の父クロノスの神域が建てられたが、ゼウスがそのクロノスに変わってオリンポス山の主神となるとゼウス神の聖なる巡礼地として更に栄えたという。

オリンピア遺跡

ブリタニオン

遺跡入り口の近く、ヘラ神殿の西北にある建築跡に存在していた建造物で、紀元前338年にマケドニア王フィリッポス2世が前ギリシアを統一したのを記念して建てられた物。通常は神職や管理人たちの事務所だったが、ゼウス大祭の時には迎賓館として使われていたという。この北側に食堂と調理場があり、古代オリンピックの優勝者が招かれて食事をしたところでもある。

ギムナシオンとパレストラ

入り口の右手にはギムナシオン(体育練習場)の柱跡と、パレストラ(闘技場)跡がある。オリンピア競技は5日間続けられたが、競技者は事前に認定を受ける為にここでの合同練習が義務付けられていたという。どちらもヘレニズム時代に建てられた。パレストラの南には新刊の宿舎だったテオコレオン、西側にはイローオンと言う英雄を祀った小神殿跡がある。

フィディアスの仕事場

フィディアスの仕事場はテオコレオンやイローオンの小神殿跡に隣接している。フィディアスとは古代の大彫刻家でここで彼の傑作ゼウス像が政策された。20世紀中ごろに発掘されているせいか、遺跡群の中でも最も原型をとどめて居て、唐草模様が掘られた柱等見ごたえがある。余談ではあるが彼はアテネの黄金時代を築いた指導者ペリクレスとは大親友だったとされており、ペリクレスはパルテノン神殿の再建にあたって彼を芸術監督として起用している。

レオニデオン

フィディアスの仕事場の南にあるレオニデオンと呼ばれる建物はオリンピア遺跡で最大の建物だった宿泊施設である。ナクソス出身のレオニダスと言う建築家によって紀元前4世紀にたてられた。正方形の形をしており、その中央にはローマ時代に建てられた円形の水盤があり、広場があった事が分かっている。

ゼウス神殿

ローマ街道を通過した左側の一番高い所に、ゼウス神殿がある。オリンピアはゼウス神の聖地であったが、不思議な事に紀元前470年までゼウスの神殿がなかった。ゼウスの祭壇が聖域の中心だったからである。しかし、ペルシャ戦争後、神への感謝の印として各地で神殿が次々に建てられ始めた。その波はこのオリンピアの地にも普及し、紀元前470年〜紀元前456年にゼウス神殿が完成した。聖地の神殿だけあり最も優れた神殿であったという。現在は廃墟となっているが、長さ64m、幅27m、ドリア式の柱の高さは10m。アテネのパルテノン神殿に匹敵する壮大な神殿だった。当時この中には、金と象牙で作られた高さ13.5mの巨大なゼウス像(フィディアス作)が置かれていたが、ローマ時代末期にコンスタンティノープルに運ばれ、後に消失してしまった。また、神殿の破風にはオイノマオス王都ペロプスの戦車競走の出発前の場面、馬身の怪人ケンタウロス族とラピタイ族の戦いの場面が施されていた。現在、彫刻は博物館に収められている。
ゼウス神殿の南壁に沿って東方面に曲がるとプレフテリオン(評議会場)跡が見える。ここはオリンピックに参加した選手全員が宣誓した場所である。

ヘラ神殿

ゼウスの妃ヘラを祀ったヘラ神殿は、紀元前7世紀のもので、ギリシアに残る神殿で最も古い。この神殿からプラクシテレス作の赤子のティオニソスをあやすヘルメス像が発掘され、博物館に収められている。

ペロピオン

ゼウス神殿とヘラ神殿の間にペロピオンと呼ばれる五角形の建物跡がある。この建物はペロプスと深いかかわりがあり、そもそもペロプスは神話ではミケーネ王アガメムノンの先祖で、オリンピック競技の創始者とされている。ペロプスの墓の上にこの建物が建てられ、中に彼の像と祭壇があったとされている。

フィリピオン

紀元前4世紀、マケドニア王フィリッポス2世が戦争勝利を記念して建てた奉納モニュメントであり、アレクサンドロス3世の時期に完成した。イオニア式柱廊のある円形の建物だったとされている。

ゼウスの祭壇跡

ヘラ神殿の東側にはゼウスの祭壇跡がある。オリンピアには70以上の祭壇があったと伝えられている。
古代オリンピック祭典は、行列と供犠から始められた。牛や豚が捧げられ、供物の後は神官や参列者たちが肉や内臓を食べ、酒を飲みかわした。祭典では一般人にも肉の配分があり、一般の人々にとってそれは一番の楽しみだったという。

貯水施設跡と宝庫

ゼウスの祭壇跡の直ぐ北側には、イロド・アティコスが建設した貯水施設跡がある。常に冷たい水が使えるように僅かな傾斜がついた循環水路が備わっていた。そして、その右側、クロノス丘の下に宝物殿跡がある。これはポリスや植民地がゼウス神にささげた奉納品の宝庫だが、ゼウス祭に参加した各国使節団の宿泊所としても用いられた。

スタジアム

古代オリンピア競技が行われたスタジアムは紀元前4世紀中ごろに作られ、トラックは幅30m、長さ192mで、初期は来たにあるクロノス丘の斜面が観客席となっていた。ローマ時代には南側にも土手が設けられて観客席が作られ、2万人収容できたと言われている。
観客は男性に限られ、女性が見る事が出来なかなかったとされている。
スタジアムの南側には競馬場があったとされているが近くの川の氾濫で壊れてしまったという。

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